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教育ツールとしての空手

現代的問題を解決する積年の知恵

マイクル・クラーク氏

過去20年のあいだに空手人口は前例のない成長を遂げ、今日では全世界で5,000万人の空手家がいると言われている。とても驚くべき数字だが、これもアジアの武術としては世界で最も知名度が高く、普及しているということであろう。しかし空手の知名度がここまで広がる中で、一つの疑問が生じてくる。今日これらの人々が行っている活動は本当に空手なのだろうか?空手が急速に、しかし然るべき質を伴わない形で普及したいま、空手の本質は損なわれていないのだろうか。空手は自らの成功により衰退しているのではないだろうか。

沖縄における空手の長い歴史を振り返ると、各世代の先生が次世代を担う弟子を見て、空手の衰退を嘆いていたことがわかる。世代交代時に空手の衰退が叫ばれていたのは一般的な反応だったようである。1992年に私は久茂地にある長嶺将真先生(1907~1997)の講道館道場に何度か訪問する機会を得た。1907年7月15日に生まれた長嶺先生は松林流空手道の創始者であり、私が初めて面会した時点で90歳を目前にしていた。私の先生である宮里栄一先生(1922~1999)の紹介ということで、長嶺先生は私と何度か会って空手について快く話してくれた。
当時の長嶺先生は84歳で、空手を始めてから68年の時が経過していたこともあるせいか、先生との会話は空手の具体的な技術より空手“道”の礎である理念や精神性に焦点があてられた。教育ツールとしての空手に関して話したところ、長嶺先生は以下のように答えた。

「空手には心技体という理念がある。心は精神、技は技術、体は身体だ。空手を理解し、熟練の使い手になるには、この3つの要素の内なる調和を得なければならない。今日の空手は技と体、つまり技術と身体だけが過剰に重視されている。心、つまり人間の精神がなおざりにされているのだ。今日では技術とパワーに魅せられて空手をする人が多いようだが、60年前はそうではなかった。今日では弟子の精神と人格を育むことが忘れられがちだが、精神と人格の成熟はとても重要であるから、私はこの点を強調したい。空手がスポーツとして、またはビジネスとして発展したことが衰退につながったのだろう。空手稽古の隅々まで心の理念を導入するのは難しいし、成功を収めるには長い時間を要する。心を鍛錬せずに体を鍛える方がずっと容易なのだ。空手の技を実践する能力は身体に加えて身体に関する知識とその使い方に依拠するが、知恵は精神、心から生まれる。技の完成度は空手の感覚に依存し、知識だけでは足りない。私は教育にもっと力を入れてほしいと考えている。心の育成を通して空手の感覚を体得する重要性について教育を行ってほしい」

あの長嶺先生との会話からもう四半世紀が経過したことに驚きを禁じ得ない。1992年の時点での私は空手の素人ではなく、初の来沖というわけでもなかった。長嶺先生と出会った時には既に18年の空手経験があり、1980年代初頭には牧志にあった東恩納盛男先生の道場で稽古を積んでいた。それでも講道館の道場に座り長嶺先生と話す中で、私は自分自身の空手教育において大きな“学び”を得ているのだと直観的に理解した。

長嶺先生の言葉に包含された積年の知恵が若い世代の空手家に失われていることは疑いようがない。というのは、教える側がそもそも教えていないからだ。しかし私は、なぜ教えられていないのかと問いたい。私は空手が直面する諸問題のすべてについて答えを用意しているわけではないが、空手がその魂が失う危機にあると長嶺先生が考える前から、前の世代の空手家は同様の意見を持っていた。沖縄の外で最も有名な空手師範といえば、故・船越義珍先生(1868~1957)であることはほぼ間違いない。彼は空手が空手と呼ばれる前から空手の研究を始めた。船越先生にとって“唐手術”とは、安里安恒(1827~1906)と糸洲安恒(1831~1915)という2人の優れた武士により秘密裡に行われた身体的訓練と徳育の実践であり、船越先生も彼らの下で稽古を積んだ。船越先生の世代では一般的であるが、新弟子は稽古料の支払い能力ではなく徳と人格により選ばれた。船越義珍先生の人生に関しては、彼の世代が沖縄の空手を日本本土に紹介し、それが後に世界各地に広まったこともあり、空手界では広く知られている。空手家であると同時に教育者であり、詩人でもあった船越先生は、「文武両道」の概念を信じた。円覚寺にある彼の石碑には、「温故知新自有規 新々旧々時推移 人間萬事是英断 斯道改正誰得宜」と刻まれている。

船越先生の詩で歌われる古きものと新しいものの違いは、時の流れとは無関係であり、実は空手家の熟成を示唆しているのではないかと私は考える時がある。空手の本質は、空手家が長い年月をかけて稽古と内省を行い、成長することにより真の目的が明らかになることではないのだろうか。「空手道に近道はない」という言葉を考える時、私は十代の自分が一所懸命に空手の技術を学んでいる姿を想起する。そして、私がどれだけ努力しても進歩に時間を要した記憶がある。60代になり、40年以上の空手経験がある今では、空手は「積み重ねる」ことではなく、「手放す」ことであったと理解できる。ようやく私は、意識的思考の不在による心の明瞭性、つまり“無”の境地に近づきつつある。もし私があと20年か30年生きることができれば、“無”の本質を理解して、さらに空手家としての高みに達することができるかもしれない。

2011年に私が那覇市壺屋の究道館道場を訪問して、ジャーナリストとして比嘉稔先生と話をした時、そこで実践されていた奥深い空手に既視感を覚えた。私は若い頃、夜に道場の外に立ち、故・比嘉佑直先生(1910~1994)が弟子に稽古をつける姿を闇に紛れて静かに観察した記憶がある。時は1984年、私にとって初めての沖縄であったのだが、既に東恩納盛男先生との稽古で疲弊していたところ、帰宅する途中に究道館道場を見つけたのである。当時の私は沖縄や沖縄の空手について何も知らず、琉球王国の長い歴史や豊饒な文化についても無知であった。糸東流で10年稽古した私は、空手のルーツを探しに来沖していた。当時の私は、空手がそもそも琉球の民が数百年にもわたり直面してきた困難から生まれた武術であることを知らなかった。

比嘉稔先生との会話で私が得た重要な学びは、一言で表せば「究道無限」である。学びには終わりがない。比嘉佑直先生の道場名もこれに由来している。究道無限の理念は、空手に関するウェブサイト、書籍、雑誌記事などで言及されている回数から評価すると、今日の空手家が価値を認める概念であると考えられる。しかし、今日の空手がスポーツ大会やビジネスに重きを置いている現実を見ると、本当に究道無限の価値は認められているのかと私は思う。長嶺先生が20年以上前に私に指摘したように、「…今日では弟子の精神と人格を育むことが忘れられがちだが、精神と人格の成熟はとても重要であるから、私はこの点を強調したい。空手がスポーツとして、またはビジネスとして発展したことが衰退につながった…のかもしれない。

沖縄は空手の揺り籠であり、永遠にその精神的故郷であり続けるだろう。しかし沖縄の空手家の数は、世界の空手家の数と比較してかなり少ない。沖縄出身ではないが、50年や60年もの長いあいだ真面目に稽古に取り組み、技を磨いてきた空手家の数が世界的に増えている。この現実を理解すると、空手の未来は沖縄の空手家だけが握るものではないことが明らかである。確かに近年では“空手ツーリズム”が台頭し、本格的な空手教育を求める西洋の空手家にとって沖縄は以前の魅力を失いつつある。彼らにとって快適な西洋スタイルのホテルからグループで県立武道館に移動し、有名な先生数名と交流することは、道場での本格的・本物の稽古ではないので全く価値がない。実際、特定の観光客を誘致する目的以外は、この“空手ホリデー”は実に子供じみている。

正しい形で先生を見つけること、道場に入門すること、そして先生の他の弟子に認められることは、長嶺先生が指摘した「精神と人格」の発達を要し、船越先生の詩の一部分である「斯道改正誰得宜」の裏にある思想に通じる。全てが弟子の利便性を考慮した形で行われる中で、空手の真の意味を理解することは可能ではないと私は考える。比嘉佑直先生が信じていたように、空手道の探求は終わらない旅であるならば、道を見失う可能性も高いだろう。私が2011年に武徳館道場で故・儀武息一先生(1941~2012)にジャーナリストとしてお会いした時、「自分を持って」という理念について話した。自分を見失わない、という意味である。儀武先生は、空手家が空手と全く無関係の事柄に焦点を置き始めると自分を見失うことがあると言われた。当時の私はその意味がよく理解できていなかったが、後になり私が自分を見失った時、儀武先生の知恵は重要な教えとして私を導いた。

2005年に国際通り沿いにある那覇市ぶんかテンブス館2階の劇場で空手シンポジウムが開催され、私も参加した。異なる流派の先生方が沖縄空手の特徴等について詳細に語り、参加者の質問にも答えた。昼食後、著名な先生が舞台上で空手と古武道の演武を行った。この演武は類まれなる技術と精神の表象であり、空手・古武道関係者が多数を占める参加者も多大な敬意と感謝をもってこれを鑑賞した。演武では記憶に残るハイライトがいくつかあったのだが、私はその前の質疑応答で、沖縄を訪れる外国人空手家が急増していることについて聞かれた時の東恩納盛男先生の回答に最も感心した。東恩納先生の正確な言葉は失念したが、彼の回答の本質は記憶している。東恩納先生は、沖縄の空手コミュニティは外国人空手家を温かく受け入れ、彼らの体験を特別なものにするべく一致団結しなければならない、と発言した。沖縄のユニークな文化を通して訪問客に空手を知ってもらう努力をするべきだと。あれから沖縄は以前では考えられなかったレベルで外国人空手家の来沖が増えた。彼らは本物の琉球古武道や空手を教える先生と、それを実践できる道場を求めている。この意味では、沖縄伝統空手総合案内ビューローは、訪問客を教える意思がある先生に紹介することで、世界各地から訪れる個人や小人数の団体を支援してきた。このようなつながりと道場訪問は、年に2回ほど大人数の集団で訪れ、快適な環境で沖縄の武術を表面的に体験する“空手観光客”とは、体験として大きな違いがある。空手を学ぶ上で人は必ず障害を乗り越えなければならないが、それに必要な強い人格を自己犠牲なくして発見できるのか、と私は考える。かつて糸洲恒先生は、「空手の目的は人格を育み、行動を改善し、慎み深さを奨励することである。しかし、これを保証はできない」と書いた。海外のビジネスマンが企画し、沖縄の一部の空手の先生に支援されている“空手ツーリズム”は、糸洲先生が掲げた理念をほぼ反映していない。

沖縄空手と古武道の精神が存続・繁栄し、今後もユニークな存在であり続けるには、スポーツや商業と距離を置く方法を模索しなければならない。私は教育を通してこれを達成するのが最善だと考える。各レベルの先生は空手の未来のため、自己の名声を求めるのではなく、武士・松村宗棍(1809~1901)が残した空手の基本理念についての発言を心に刻みつけるべきである。「謙虚さは空手の礎であり、これにより人は悪より善、虚栄より真価、感情より理念を選ぶのである」 空手をエンターテインメントではなく教育ツールとして活用することは夢のように思えるかもしれないが、私は可能だと信じているし、実際に個人レベルで、沖縄をはじめ世界各地の道場で実践されている。

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