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伝統的な武術の持つ利点: 武術の訓練がもたらすものとは?

デミアン・マーティン

た。研究開始時には、初級の生徒は、伝統型と近代型の両方の学校において攻撃性の点数は同程度だった。しかし伝統型の学校では、初級の生徒よりも中・上級の生徒のほうが攻撃性の点数は低いことが分かり、「近代型」の学校では、生徒の点数に変化はなかった。実際、伝統的な訓練は攻撃性を緩和したが、近代型の訓練ではそうはならなかった。

Trulson (1986) およびRegets (1990) も、同様の結果を得ている。しかし対照的に、Egan (1993) は、伝統的な訓練と近代型の訓練の両方とも、全体な精神面の改善につながることを見いだした。伝統的な武術の生徒は自己受容を示す点数が大きく上昇したが、近代型を重視した訓練を受けた生徒については、そのような報告はなかった。ほとんどの研究が、この差に影響したのは訓練の環境と指導スタイルだろうという仮定を支持している。

攻撃性と武術に関する研究の中で最も引用されているのは、Trulsonによる研究 (1986) だろう。6ヶ月の研究の最後には、「伝統的テコンドー」の生徒においては攻撃性と不安が緩和され、自尊心が向上した。反対に、近代型のテコンドーのグループは、非行性向と攻撃性が高まった。単に運動だけをした対照グループは、自尊心の向上は示したものの、それ以外に目立つ変化は示さなかった。

Trulson (1986) と同様に、Nosanchuk & MacNeil も、非伝統的な学校での訓練が長くなるにしたがい攻撃性が増すことを発見したことは特筆すべきであろう。これは、自己防衛、競争、訓練の暴力的側面を強調しすぎた一方で、倫理的な枠組をなおざりにしたことによると思われる。これは、Bandura他 (1961) による攻撃性モデルの研究を裏付けている。また、伝統的訓練については、訓練の長さに呼応して攻撃性や敵対心が増すことを示す研究は、今日まで全くないことにも注目すべきである。

研究者のReynes & Lorantは、武術の訓練と攻撃性レベルに関する研究を数多く実施してきた。2001年の研究では、武術が他の活動に比べてより攻撃的な子供の興味を引くわけではないことが分かった。2002年には、柔道の訓練は少年たちの攻撃性を緩和しないが、これは近代柔道において競争が強調されていることによる可能性があるとしている。2004年には、柔道の訓練は怒りを表す点数を下げたが、空手の訓練は効果を示さなかったという矛盾する結果となった。この結果の原因は、研究における方法論の問題ではないかという指摘が、Vertonghen, Theeboom, Pieter (2014) によってなされている。

 

非行の恐れがある若者への取り組み

武術の訓練やプログラムを若者の関心を引き指導することに活用し、効果的な結果を得ている例は、文献に数多く残されている。Binder (1999) による文献の検証は、武術の実践が心理的に良い結果をもたらしたという事例報告を裏付ける経験的証拠を検証している。伝統的武術は、明らかに非行や衝動的な暴力にはしる恐れがある若者が関心を持てるような体験を提供し、さらに好ましい道を歩み始めさせている (Cannold, 1982; Fuller, 1988; Penrod, 1983; Wesler, Kutz, Kutz & Weisner, 1995; Zivin et al., 2001)。Twemlow & Sacco (1998) は、武術の訓練が「非常に役立ち得る、心理療法における自我構築の形」だと報告し、特に「攻撃的衝動を抑える」上で役立つとしている。Trulson (1986) は、伝統的武術の訓練は、若者の非行性向の緩和に効果的だということを示すデータを報告している。

Vertonghen & Theeboom (2010) は、彼らが検証した研究の著者、対象グループ、そのグループが参加した武術の種類、観察された性格、そして結果がプラスだったのかマイナスだったのかを一覧表にした。どの若者グループも、武術に参加したことによるプラスの影響を示した。

 

自閉症スペクトラム障害 (ASD) の子供への取り組み

筆者は、自閉症スペクトラム障害 (ASD) と診断された子供や若者の訓練に関してかなりの経験を積んでおり、感覚処理の問題への配慮と多少の修正さえ行えば、武術の訓練は非常に有益だということが分かっている。この経験は、体系化され、階級制度があり、予見可能で、型を用いる伝統的訓練モデルの研究に裏付けられている。例えば、Bahrami他 (2012) は、ASDの子供に典型的な行動を緩和するのに型の訓練が効果的だということを発見しており、Movahedi他 (2013) は、型の訓練がASDの子供の社会的機能不全を着実に緩和する効果があるとし、またMcKeehan (2012) は、武術の訓練が、ASDの子供の社会性、身体的能力、敬意、および態度全般において劇的な効果を証明したことから、基礎行動の改善に対する効果的な方法であることを発見した。 

これらの研究の結果は、ASDの子供に関わる教育者が効果的な戦略計画を立てる上で役立つのではないか。その計画の下で、ASDの子供を惹きつけるために武術の訓練を提供・活用できる。

 

ADHDの子供への取り組み

Ripley (2003) の研究では、武術の訓練がADHDの子供たちの行動全般を改善させるのに役立ち、その結果学校の成績が上がることが分かった。

Morand (2004) は、ADHDの少年らが武術の訓練を週に2回受けることで、宿題を終わらせる割合や教室での行動が改善し、教室内で不適切に大声を出したり席を離れたりすることが減り、成績が伸びたと報告している。

Marquez-Castillo (2013) は、武術の訓練によりADHDの症状を緩和し成績を伸ばすことが可能であると報告している。

Cheyne (2013) は、ADHDの子供が持つ必要性を理解・評価し、その子の学びを支える環境づくりができる指導者の下であれば、武術の訓練はAHDHの子供の自己規制能力を高めることに役立つと報告している。

以上の研究は、武術がADHDの子供への効果的な介入方法であるということを、経験的に裏づけている。Trulson (1986)、 Regets (1990)、 Biddulph (2003)、Lakes & Hoyt (2004) の研究の文脈と併せて考えると、伝統的な環境における武術の訓練は、子供にとって非常に大きな心理社会的利点があると考えられ、ひいては家族や社会全体にも利点があると推察される。

 

その他の利点

Columbus & Rice (1998) は、人々が武術の訓練をする理由の現象論的分析を行い、プラスの結果が報告された様々なテーマを発見した。例えば、本人や他人についての経験、感情、状況、適応機能などである。Bouchard, Focht, Murphey (2000) は、武術を痛みの限界値の改善と関連付け、痛みのコントロールに武術の訓練を用いることを検証した。

また別の研究では、Lakes & Hoyt (2004) が、武術を実践することで、認知的自己調整、情緒的自己調整、向社会的行動、教室での行動、暗算テストの成績が向上することを発見したが、これは女の子よりも男の子の方が大きな変化を示した。

Biddulph (2003) は、現代のライフスタイルは家族により大きなプレッシャーを与えており、このプレッシャーが少年たちの問題行動となって表面化すると考えている。Biddulph によると、現代のライフスタイルのせいで、父親、模範とすべき男性、あるいは助言者との触れ合いが減少している。離婚に関する統計(オーストラリア統計局;2002c、2004) および一人親世帯に関する統計 (Rich, 2000;ゴールドコースト市議会, 2004) も、この見解を強く裏付けているようだ。Rich はまた、離婚や一人親のライフスタイルによって生じる社会経済的な地位の低下は、教育的不利益につながり、失業や非行の危険を増加させることを見いだした。クイーンズランド警察による統計 (2005) も、この証拠を裏付けているようである。Biddulph (2003) は、武術の実践をはっきりと支持しているし (p144)、きちんとした伝統的武術に見られる模範とすべき男性や助言者に関する立場も黙示的に表明している。Lakes & Hoyt (2004) の研究では、武術の訓練が、子供の認知的自己調整や教室での行動を改善すること、そして女の子よりも男の子のほうがより大きな変化を示すことがわかっている。これは、Biddulphの主張を裏付けることになっている。

 

結論

研究は、武術の訓練と様々な心理社会的特徴との間には、明らかに良い相関関係があることを示す結果となっている。残念ながら、武術の訓練がこれらの利点をいかにして形成または達成するのかというメカニズムは未だはっきりっしておらず、更なる調査が必要である。そのため、Vertonghen, Theeboom, & Pieter (2014) と同様に、筆者も、過去の研究の調査方法の問題点が指摘されていることから、さらなる研究の必要性を訴える。そして、そのさらなる研究は、性格、社会経済的地位、文化、年齢、武術(または格闘技)、指導方法などの影響も調査する必要がある。

はっきりしていることは、適切な資格を持つ指導者がきちんとしたカリキュラムを用いて指導した場合、武術の訓練を受ける者には余るほどの利点があるということだ。これを踏まえると、オーストラリアにおいて学校のカリキュラムに武術が組み込まれていないことが、なおさら残念である。

Winkle & Ozmun (2003) は、武術を学校のカリキュラムに取り入れることがいかに望ましいことであろうと、これを阻む、いくつかの大きな障壁を明らかにした。中でも、まず真っ先に障壁となるのが、適切な資格を持った指導者の不足である。学校のカリキュラムに武術のプログラムを加えてもらおうとする際に指導者が直面する問題のうちの一つが、「資格」や「認定」を与えることである。オーストラリアにおいては、指導者が適切な資格を持っているかどうかを確認する上での課題や、そもそも適切な資格とは何かという課題がある。

現在の司法環境においては、武術を教えることに関する法律は無きに等しい。ただし、武術の競技や推進に関しては、ある程度の規制がある地域もある (例:ニューサウスウェールズ州の格闘技法 2013) 。指導者は、通常、何でも好きなものを、いい条件が得られる場所ならどこででも教えることができる。どういう人が生徒を指導できるかについての方針が定められている所なら、資格や認定や会員資格などはある程度役立つだろう。多くの場合、救急処置の認定証、「児童に接する仕事」に就けるかのチェック、そして何らかの資格(例:国家認定コースの終了証、NCASレベル1または2あるいは同等資格)が必要最低条件とされている。

学校に武術を取り入れることへの別の障壁の一つが、何も知らない人が、武術や格闘技はどれも同じだと見なしていることである。もし決定権のある人が、過去のどこかの時点で武術や武術家に関してマイナスの経験をしていた場合、これが問題となる。オーストラリアで武術に参加している人口が飽和状態であること、そして何を教えるかということに関する規制や品質管理が欠けていることを考えると、残念ながらマイナスの経験というのは非常に常態化しており、「マクドージョー」という言葉まで生まれているほどである。これは、利益の名の下に、中身の薄まった、偽物の、実用的でない形の武術を教える質の悪い道場を指している。

筆者は、ほぼ30年にわたり武術を教えており、現在も、子供、若者、そして大人まで、日常的に様々なクラスを教えている。ほとんどの指導者と同様に、筆者も、多くの生徒たちが武術の訓練から効果的な恩恵を受けるのを見てきており、生徒たちに与える武術の利点をさらに発展させるために、長い年月をかけて指導方法の調整や変更を数え切れないほど重ねてきた。武術の訓練の利点を最大限にするメカニズムに関し研究がさらに行われることを望み、指導者たちにも、武術の指導をより効果的に行えるようさらに進歩する機会を作っていきたいと考えている。

 

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