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沖縄におけるプレイスメイキング

ポール・バブラデリス氏

誰しも好きな場所がある。複数ある人もいるだろう。何がこれらの場所を特別にするのか、そしてなぜ一部の場所は毎年数十万人から数百万人もの訪問者を引きつける魅力を持つのだろうか。プレイスメイキング(場の創造)の芸術と科学は過去10年間で目まぐるしい進化を遂げ、今では魅力的な場所には共通する具体的な要素があることが明確である。プランナーは科学を駆使して、人が訪れたくなるような場所、生活の一部と考えるような魅力的な場所を創造し始めている。

一般的に受け入れられているプレイスメイキングの定義はまだ存在しないものの、大半の開発プランナーはモダン・プランニングの過程でこの概念を活用している。プレイスメイキングの概念は、意図的に魅力的な場所を創造するために、人は協働・協力して現在と未来を形成する方法を特定・実行する能力があるという信頼を土台に成立している。

これを実現するには、ほとんどの場合、活力ある植物、清浄な空気と水、そして人間の成長と幸福を促進する環境を含む健全なエコシステムを維持・強化する取り組みが必要になる。人は目で見て魅力的な自然に限らず、心に響く美を求めるのだ。

同時に、歴史、自然、人の態度等の社会的要素も関係する。安全な環境は前提としてあるが、魅力的な場所にはこれに加えて心地よい雰囲気、親近感、居場所感などがある。場所と人の歴史は重要な要素であるが、史跡等は、特に過去と現在を結びつける性質のものであれば大きな価値を有する。

沖縄は既に魅力的な場所であり、世界中の数多の人々に愛されている。沖縄のプレイスメイキングを探求する現在の取り組みは、幸運なことに多くの材料に恵まれている。筆者は大規模プレイスメイキング・プロジェクトにおいて、空手と古武道を結びつけることで、現在の取り組みを強化する方法を以下にまとめた。

 

空手と自然

大抵の人間は活気あふれる豊かな自然環境を求めるが、沖縄空手と古武道の実践者にとっては、この欲求はDNAに刻み込まれている。沖縄では大昔から武術の稽古は屋外において少人数のグループで行われていた。そこには自然とのつながりが存在したが、一部の人間は空手の稽古を動く禅と位置づけ、心を開くに最も適した場所は屋外以外にないとした者もいた。このような稽古は数百年続き、道場での稽古が一般化したのは第二次世界大戦以降である。

「空手の先生がいなければ、自然を見渡すのだ。そこに先生はいるだろう」と、筆者は空手の師範に言われたことがある。多くの空手技は自然を丁寧に研究した人々により開発・精緻化され、この実践により、技自体が表面上の知的な分析では明らかにできない深い人間性を獲得した。

他にも例はいくつもあるが、要点は単純である。つまり、自然は空手を構成する一部分なのである。これがプレイスメイキングとどう関係するのか。たとえば自然を意識して道場をデザインし、美しい自然環境の中に建てるのはどうだろうか。屋内と屋外が調和する空間は、本物の自然と武術体験を求める人にとって最適な環境だと考えられる。グループの規模にかかわらず、短期・長期の滞在客向けに”道場休暇”を実現できる。

武術実践者が集い稽古できる公園を指定してはどうだろうか。費用はほぼ発生しないばかりか、空手が誕生した土地として、そして今日でも盛んな地として、沖縄に対する一般的なイメージを向上する可能性がある。

現在、空手関係の訪問客を自然資源アトラクションと結びつける取り組みがあるが、これは今後も継続可能な取り組みであり、継続されるべきである。自然体験を提供する側の人間と空手関係のプランナーとの対話は、様々な経験の結合・統合を可能にし、参加者に刺激を与え、沖縄の人や土地との生涯にわたる絆をつくる一助になる。

 

真正な歴史

沖縄の空手と古武道は“真正”である。沖縄は生誕の地であり、他の土地にはない真正な歴史が存在する。当然、実践としての空手は時とともに現代化したが、真正な歴史の核となる要素を探求、特定、そして維持することは重要である。

協力は空手史の一部である。空手の実践者が地理的に離れた場所にいることが多かったのは確かだが、異なる流派の人々が集って稽古し、自分の技を試したり相手の動きを研究したりすることが度々あったのも事実である。空手の真正な歴史を活用し、異なる流派または流派内の会派を参加者に紹介するイベント等を企画することも一案である。

加えて、過去に空手の稽古に使用された場所が一部特定されている。宮城長順先生はムーンビーチで稽古されたとの伝説がある。どのような稽古を行ったのだろうか?かつて宮城先生が行った稽古を同地で再現し、参加者が体験できる取り組みは可能であろうか。ムーンビーチに限らず、島にはかつて達人たちが集い、稽古や意見交換を行った場所が複数存在する。これらの場所は歴史的価値を有するため、たとえ同地での稽古が不可能であっても多くの関係者の関心を引きつけるであろう。

1900年代前半の沖縄での稽古はどのようなものであったのだろうか。同時代を生きた師匠から実際の様子を聞いた一部の達人は今でも健在である。これまで以上に研究や協力活動を深化させ、当時の様子を正確に再現する授業を行うことはできないだろうか。

現在のプレイスメイキングの取り組みに真正性は欠かせない。現代的な開発は魅力的で価値あるものだが、同時に真正性も確保されなければならない。沖縄空手史に関する深い知識を有する個人は複数存在するものの、真のプレイスメイキングに必要なのは総合的かつ包括的な知識であり、これを得るには達人、歴史家、プランナー等の協力や対話を要する。

 

民の意識

ノーベル賞受賞者でコスタリカの大統領を2期務めたオスカル・アリアスは、北欧州諸国からコスタリカが負う債務放棄を提示された経験がある。北欧州諸国から(債務放棄で浮いた)資金を何に使うのか問われたアリアスは長考した。ヘルスケア、教育、道路整備、公共プロジェクト等、支出を要する分野は多数存在したが、最終的にアリアスは自然保護区の整備に支出を決めた。後に「自然と債務の交換」と呼ばれるようになるこの取り組みは、今では見識ある自然保護の事例として世界に知られている。「自然と環境を保護することで、これが重要なのだと国民に示したのだ。自然の重要性をコスタリカ国民の意識に植え付けることができた」と、アリアスは説明している。これはコスタリカが世界的に環境を重視する国であると考えられ、毎年数百万人もの訪問客を迎え入れている理由の一つでもある。コスタリカ国民は環境に対する感謝と配慮の気持ちがあり、国の資産として大切にしているのだ。

この点でも沖縄に共通する部分がある。歴史や文化の様々な分野で、沖縄県民は相当な誇りをもち、強い意識を有する。空手発祥の地としての沖縄は広く知られているが、まだ強化の余地はある。空手史に関する情報は沖縄県民に広く共有されるべきである。プレイスメイキング・プロジェクトは沖縄の県民意識と誇りを育み、沖縄の武術を世界に知らしめる継続的取り組みでなければならない。

 

友情と平和

友情は沖縄文化の礎である。そして平和も。友情と平和の概念は既に沖縄文化に強く根付いているが、これらをプレイスメイキングの一部として認め、活動の指針として位置づけられなければならない。人は友情と平和を求めるが、世界的にも両方をあわせ持つ場所は稀である。

沖縄の空手を友情と平和に結びつけることは、特に武術が乱暴なものとしてメディアで表現される現代において重要性を有する。世界が空手に対して持つイメージは力、支配、物理的な技等の印象が強く、心や精神の側面はあまり注目されない。

「空手の目的は善い人間をつくること」であると筆者は複数の先生から聞いた。他方、「空手の究極の目的は友情である。相手との稽古を通してお互いが成長するには、真の友情がなければならない」と言う先生もいる。沖縄の空手と他者との友好的・平和的関係、そして個人の内なる平穏を真につなぐリンクを説明するには、他の方法も多数存在するであろうし、これについては疑いの余地はない。いずれにせよ、空手が普及している今の世界はこの言葉を必要としており、プレイスメイキングにおいても重要な役割を担うべきである。

 

結論

プレイスメイキングとは、魅力的な場所を創造するため、既存の強みを活かし、これを協力して開発する意図的な取り組みである。これは容易ではないため(真の協力は容易に実現しない)、実際に試みるコミュニティー、地域、国家は数えるほどである。時に成功は関係要素が有機的に調和した結果、つまり魅力的な場所が”偶発的”に生まれる場合がある。それでもモダン・プランニングは、これらの場所はプレイスメイキングの芸術と科学を駆使することで恩恵が得られると示唆している。

沖縄は既に魅力的な場所だが、色鮮やかな歴史、豊富な自然美、温かい人をからめた空手と古武道との結びつきが弱く、向上の余地がある。しかし、沖縄でこのような取り組みが県民、経済界、自治体プランナーの支援を得て始まった事実こそが、沖縄がもつ先見の明を如実に表しているのである。

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